加藤鞆美の五月人形
加藤鞆美(かとうともみ)は細部にまでこだわりを見せる五月人形の作り手です。鞆美の兜についていた説明書きと商品の写真を撮りましたので少し載せます。
説明書きが読みづらいといけないので、書いときます。
「東京都知事指定伝統工芸師
甲冑師 加藤鞆美
初代加藤一冑の次男として昭和九年に現在の東京都滝野川に生まれる
父が先天性心臓病で弱かった為でもあるが
自身仕事に興味を持ち七、八才の頃より父の仕事、生き方、技術を学び
十二才の頃より父の傍らで甲冑制作の一から十までの修行を積み
父一冑が全国行脚をして集めた資料のうえに再度裏付を取る研究を重ね
博物館、展示会、神社、仏閣に足を運び実物の甲冑に触れ
それにより得たことを糧に構想を練り、現代の素材、技術、技法を取り入れ
縮尺されていても現物の匂いや伝統を崩すことなく製品を造る為の努力を日夜続けている
京都府立文化博物館に納め展示されている平治物語の
絵巻信西の場の立体復元の鎧武者七分の一縮尺の鎧は他に製作することの出来る職人は
まだ見当たらない程に精巧に出来上っている」
「甲冑職人
仕事の記録
ミニチュアを作るのも本物を作るのも、心構えは同じでなければならない
表現したいのは、あくまでもその時代の美であり、匂いである
たとえば紐の組み方がそうだ。柔らかく組まないと、鎧の穴には通らない
ところが、柔らかい紐は組み代が高い
しかし、凝っただけ、味わいも高まってきます」
「鉢
兜は、まず金属の板(ミニチュアは真鍮、本物は鉄)を鋲で留め鉢型を作る。
板の枚数は10枚~20枚。金属板を鋲打ちで留めるのだが、
鋲は飾りにも補強にもなる。
次に前面の篠垂(しのだれ)と呼ばれる金銀の飾りを付ける(ミニチュアはメッキしたものを使う)最後にしころと合体させて完成。
天頂の穴から髷(まげ)を出します。」
「小札
鎧の大部分では、小札と呼ばれる無数の革の小片が、紐でつづられ厚い繊維状をなしている。
その小札作りの過程。
ミニチュアでサイズが小さいものは紙を使って張り合わせて作るが、2分の1以上になると、革の小札を皮紐でつづっていく。
次に各段ごとに色紐でつづり各部位を作る。
したがって、鎧には膨大な数の革の小札と紐が必要になります。」
「飾り金具
真鍮の板を切って兜の前面に付ける鍬型を作る。
板の中央を切り抜く際は、手動式のろくろを使って穴をあけ、糸鋸(いとのこぎり)を通して切っていく。
糸鋸はボールペンの芯の部分に入れて大切に収納。
最近では、糸鋸も10本に1本ぐらいしか精度のいいものがないという。
仕上げにやすりをかけて完成です。」
「革どころ
革どころ(革で保護する部分)は、腹、脇腹、背中。
もちろん革の裏には小札が付いている。
革どころの芯地には、補強のため金属が使われている。
革には、使用する武将オリジナルの模様が染め抜かれている。
色は、藍と赤。
獅子の柄が多い。」
兜についていた作札です。
いろいろな肩書きが書いてあります
兜の写真を撮って見ました。
この兜には、鍬形をつけるようになっています。
竜はありません。
後ろからの写真です。
上からです。
兜鉢が見えます。
裏から撮っています。
鉢裏天辺には、穴をあけてあります。
鍬形の写真です。
鞆美の特徴の1つとしてその磨かれた輝く鍬形があります。
鏡のように顔までうつります。
スキャナで撮ってみました。
下のほうに鞆美の刻印があります。
鍬形の上のほうのスキャンの拡大です。
表面の様子が良くわかります。
加藤鞆美の五月人形販売
あいにく、現在、加藤鞆美の五月人形で販売できる商品が在庫にありません。申しわけございません。
完売商品一覧
五月人形は日本の文化です - 日本では季節の変わり目の祝祭日のことを節日といい、お供え物をしたり行事を行って祝ってきたという歴史があります。この節日の供え物『節供』という言葉が、節日そのものを指すようになって『節句』という言葉になったともいわれています。その五節供のうちのひとつ端午の節句は、男の子の節供として内には五月人形を飾り、外には鯉のぼりや五月幟をたて、お子様の成長を喜ぶお祝いの行事として生活に定着しています。とりわけお子様がはじめて迎える節句を初節句といい盛大にお祝いします。また、女の子の初節句は、雛人形を飾ってお祝いします。